こんにちは。
僕は当ホームページ及びブログの管理人、焼鳥げんき屋の “タイキ”と申します。
この度、僕が少年時代を過ごした、1990年代の「伊岐須小&二瀬中」周辺を再現したマップを作成しました!
二瀬懐かしマップ(1990年代のすがた)

先にお断りしておくと、この思い出地図は「正確な歴史地図」ではなく、1982年生まれ(伊岐須小学校→二瀬中学校)の僕が、小中学校周辺の半径1kmに詰まっていた“思い出の座標”を打っていった私案図です。
この地図を作っていく中で僕は、当時の音や匂い、手触りまで蘇るような感覚を覚えました。
店の引き戸の重さや、ポケットの中の100円玉がジャラジャラ鳴らす音、そして友達の笑い声。地図はただの絵なのに、どこかあの時代の空気を運んでくるんですよね。
そんな空気をあなたにも感じていただきたく、マップに載せたスポットからいくつかピックアップして、当時の思い出とともに辿っていきます。
相田周辺

まずは、伊岐須小学校・二瀬中学校周辺から北側を取り上げていきます。
なかむら商店(二瀬茶舗)
中村茶屋とも呼ばれていたため、当時の僕らはシンプルに「茶屋」(ちゃや)と呼んでいた。
当時の伊岐須小の児童にとって、“駄菓子&ゲーム”といえば、この茶屋。
あの時代を振り返るにあたっては、後述するマルシンと、この茶屋の存在抜きには語れません。それほど重要なお店。
茶屋といえば遠足。
遠足の前日は、300円が世界のすべて。
10円・20円・30円の計算で脳がフル回転。
うまい棒・ウメトラ兄弟・ベビースターラーメン・ビッグカツ・キャベツ太郎…(挙げだしたらキリがない)、300円になるまで必死の暗算。
あの“300円のドラマ”がないと遠足は始まらない。
店内奥にはアーケードゲーム機が3台か4台ほど置かれていた記憶。
ストⅡ、餓狼2、そして中学に入るとKOF(『ザ・キング・オブ・ファイターズ』)が主役。
1クレジット50円(50円玉1枚で1プレイ可能)。
50円という設定は、当時の小中学生にとっては大変ありがたかった。
ゲーム機のボタンは表面が少しザラついていて、レバーは長年使われた影響からかクセがある。夏は指先に汗がにじみ、冬は手がかじかむ。
勝ったら連戦、負けたら後ろの友達と交代。この何気ない順番待ちが、当時の子供たちに、ちょっとした人間関係のルールを教えてくれたような気がする。
マルシンショッピングセンター
二瀬地区のランドマークといえばそう、「マルシン」
1階は生鮮・総菜・フードコート、2階は日用品&衣料だったと思う。
フードコートの「もんち焼き」は、“一銭洋食” 風のおやつ。薄い生地にソース、時々ぶた肉をトッピング。
100円ちょっとで食べることができ、少ないお小遣いの範囲でできる、自分へのささやかなご褒美でした。
そしてマルシンにも、小ぶりだけどゲームコーナーがあった。
100円で2クレジットという設定。50円で1回ではない、100円で2回なのである。小学生にとってこの差は地味にデカい。
中3の頃はKOF’97をやり込んだ。二階堂紅丸、チョイ・ボンゲ、ブルー・マリーの3人が当時の僕の定番チーム編成。今も耳の奥で、「KO」の効果音が鳴ります。
当時のマルシンは、確実に「二瀬の中心地」だった。
年に一度の夜のイベントの日は、商店として以上に“地域住民の交流の場”として機能していたと思います。
ニューマルシン
マルシンの向かい(駐車場敷地内)にあった、夜の拠点。
マルシンが20時台に閉まっても、こちらは確か23時くらいまで営業していた(記憶違いならすみません)。 まだコンビニが無い時代、“遅い時間の買い物”はここだった。
90年代半ばに閉店し、その後は本屋さんやドラッグストアに。
ニューマルシンといえば、「スーパーASO」・「川食」と並ぶ、「筑豊御三家スーパー」として親しまれた老舗。屋号の響きにも、不思議と地域の誇りが宿っているような気がします。
コスモ倶楽部(ゲームショップ)
二瀬地区で唯一のゲームショップ。
中古ゲームソフトも扱っていて、ガラスケースの奥で輝く“掘り出し物”を眺めるのが楽しかった。
なんてことを言いつつ、実際に僕がここで買ったソフトはスーファミの『マッスルボマー』くらい(普段はファミコンハウス派)。
箱の角の潰れ具合や説明書のヤケ具合で“状態”を見極める、あの妙な真剣さを思い出す。
個人店ならではの空気感が、ゲームの価値をちょっとだけ上等にしてくれた気がします。
静商店(しずみせ)
伊岐須小にいちばん近い個人商店。
朝の開店が早く、縄跳びが壊れたときなんかは翌朝、登校途中にここに立ち寄って縄跳びを買ったことを思い出します。
ジュースやアイスクリームもよくここで買っていたな。
ローソン飯塚伊岐須店
二瀬地区 “最初のコンビニ”(だったはず)
僕にとってはこのお店を思い出すと、週刊少年ジャンプも同時に思い出す。
このローソンができてからというもの、朝6時半、自転車でローソンへ向かいジャンプを購入、帰宅してドラゴンボールとスラムダンク、幽☆遊☆白書だけ先読み、そして満足して登校
という、毎週火曜日(ジャンプの発売日)の朝活が存在していた。
中学では、下校時の“帰り食い”や土曜日の“部活前ランチ”の調達場所。
当時はまだ土曜午前の授業が存在していたため、午前中に授業をうけて、午後から部活というスケジュールだった。
そんなわけで、土曜のお昼は中学生で大混雑。
おにぎり2個+からあげクンを食べて、午後からの練習に挑んでいたことを思い出します。
寿し幸
「子どもの頃からある」そして「いまもある」という稀有なお寿司屋さん。
不思議とまだ入ったことがなく、店の前を通るたびに「いつかここで食べよう」、そう思い続けて、ずいぶん経ちました。
今年こそ行きたい!
石橋外科医院
現在の正式名称は、医療法人健蘭会 石橋外科内科医院。
学校で怪我をしたら、大体ここ。
彫刻刀で指をスパッ、転倒で足首ズキッ、部活で手の指がボキッ…そんなときはすぐ石橋外科。
僕も中学の部活で手の指を脱臼したときにお世話に。待合室の空気、消毒液の匂い、壁のポスター。痛みと一緒に思い出します。
それと、健康保険証を持って行くのをよく忘れて、受付の方を困らせていたな。当時の受付のお姉さんごめんなさい。
マルシン食堂
店名的に「マルシン関係かな?」と勝手に想像しつつ、真相は謎。
当時の伊岐須小の児童なら誰もがこのお店を知っていたはずなのに、僕の知り合いで「行ったことがある」人にいまだ出会ったことがない。
大人になった今の僕なら、間違いなく飛び込みで暖簾をくぐっている。
失われた町の食堂のご飯が、どんな味だったのか…こればかりは今更確認のしようがないのである。
カットショップハマダ
小学生までスポーツ刈りだった僕。
中学で髪を伸ばす、と決めたあの日から、ハマダに通うように。なぜハマダだったのか…正直、覚えていない。
けれど、マスターやママ、店長さん、アシスタントさんの朗らかな空気が好きで、髪を切る時間が楽しみになったのは確か。
上京するまでの“通い床屋”であり、数年前に帰郷してからも、またお世話になっている現在進行形の場所でもある。
店名が「CO・CO・A・hair」に変わっても、会話の温度は変わらない。それが何よりうれしい。
ほっかほっか亭
かつて、二瀬中近くにも “ほか弁”が存在した。
中学のとき、夏休み前とか給食のない日に、弁当を忘れる生徒が度々いた。僕も忘れたことがある。
そんなときに先生がここで昼食を買ってきてくれていた。代金は先生が立て替えてくれて、後払い。
今思えば、あの優しさは、担任の先生それぞれの判断だったのか、それとも学校全体で弁当を忘れた生徒に対する対応が決まっていたのか、どっちだろう。
当時の担任の先生と話す機会があれば、確認してみたいところである。
さて、ローソンの件でも触れた、土曜午前授業→午後部活のときの昼食。
大きくは、ローソン派/ほか弁派/エスマート派に分かれていたと記憶している。
ほか弁で昼食を買うとき、僕は大体、から揚げ弁当かチキン南蛮弁当の二択。たまにのり弁。
揚げ物の湯気、白米の立つ香り。午後の部活は腹パンとの闘いから始まっていました。
安藤商店(あんどうみせ)
店頭に自販機がズラッ。
僕はもっぱらミラクルボディ(500ml缶)派。
子どもの頃、親のタバコ(キャビンマイルドがなんと240円)のお使いも頼まれた、懐かしのお店である。
500円玉をもらって、キャビンマイルド2つ購入。お釣りの20円が駄賃(笑)
そして、車で通学していた大学~大学院の頃は、自宅を出てまずはここの自販機で缶コーヒーを買うのが朝の儀式。
いまは商店自体は営業していないけれど、現役稼働中の自販機が並んだ景色は、当時の面影を残してくれている気がします。
酒のみなとや
自宅から一番近い酒屋さん。
親の買い物(ビール)に付いて行って、ビックリマンアイスを買ってもらうのが定番。
また、このお店近くの友達の家に遊びに行く際には、ここでジュースとお菓子を調達。そんな思い出も。
いまでも営業されているようで、店の前を通るたびにビックリマンアイスの味を思い出します。
西伊岐須周辺

続いて、伊岐須小学校・二瀬中学校よりも西側を取り上げていきます。
村上ホームやまるいわチャンポン、レインボーファクトリーがある辺りです。
エスマート
現在、レインボーファクトリーが入っている建物で営業していた、西伊岐須のスーパーマーケット。
家から近く、祖父母と一緒に買い物に行くことも多かった。
ほか弁とローソンの件でも触れたけど、ここも土曜の午前授業が終わった後、午後の部活前の昼ごはんの調達先として活躍。
ローソン/ほか弁/エスマートの三択は、その日の気分とその日親からもらった昼食代で決まる。
そして、この店の思い出はもう一つ。
それは、小学校低学年の頃に、ここで上級生にカツアゲされた苦い思い出。
当時の上級生(特に2~3歳上)はめちゃめちゃ怖かった(笑)
うちだ屋飯塚店
“うどんレストラン”というファミレス。
うどんを中心に、丼・定食が豊富。
小中学生の頃は家族で夜ご飯に、大学時代は一人で昼食→そのまま読書、なんて使い方もしていた。
自宅からも近いのでかなりお世話になったお店である。
当時の福岡うどんチェーンといえば、僕の肌感覚では、うちだ屋とウエストの二強だった。
そのうちだ屋も、店舗数が減り、この飯塚店も2020年頃に閉店(コロナの影響もあったのかな…)。
閉店を知ったときは、胸の中で“カラン”という音が鳴った気がした。マジでそれくらいに悲しかったです。
新高尾~東新町周辺

続いて、伊岐須小学校・二瀬中学校よりも東側を取り上げていきます。
現在、コスモス伊岐須店がある辺りですね。
おざき商店
小さな個人商店。
ここも、アーケードゲーム機が何台か置いてあったものの、僕のような初見がふらっとこの店でゲームするのはかなり難しかった。
というのも近所の常連さん(常連といってももちろん小学生である)の壁が厚かったからである。
知り合いに常連客がいる、もしくは強靭な精神力を有している子でなければ、常連客の多いこんな小さなお店でゲームをするのはまず不可能。
そんな社会の縮図を、子どもの僕はこの店を通じて肌で学んだ。
一見さんの辛さ…「小さな居酒屋さんに初めて入るときと一緒だな」
なんてことを中年になった僕は思うわけです。
古本ヤ
この界隈で唯一の古本屋。
窓から差し込む太陽の光、紙の乾いた匂い。
気になるマンガを立ち読みして、面白かったら続巻含め即購入。なんてことは小学生の頃の僕にとっては夢のまた夢。
小遣いから漫画本の購入に当てられる金額なんてたかが知れている。
月に一冊買えるか買えないか。
そんななか、小学生の頃に僕が買ったこち亀のコミックスは、ほとんどがここで買ったものだったりする。
そんなこち亀も、大学院の研究室に全巻寄贈した(正確には置きっぱなしのまま卒業した…)
あのこち亀は、新キャンパスへの移転でどこへ行ったのやら…
移転後のキャンパスの研究室にいまだ健在だったら感動ものなんだが、たぶん捨てられているだろう(笑)
カメラの宇野(宇野カメラ)
名前からしてカメラ屋だけど、僕らにとってはミニ四駆とプラモの店。
特にミニ四駆。
ボディ、モーター、スポンジタイヤ…。あれこれパーツを悩む時間が楽しかった。
ちゃんとしたコースなんてなく、家の廊下や外のコンクリ地面で走らせてばかりだったけれど、それでも楽しかった。
工作と想像力を育む原点の一つであったことは確かである。
広陽電化
こちらもプラモデルと塗料の頼れるお店。
限られたお小遣いでタミヤ瓶を複数色集めて、匂いにむせながらプラモに色を塗る。
当然下手くそだが、それでも楽しかった。
Amazonや楽天市場なんて使えない時代。
田舎でも小学生だけで行ける範囲に、こういうお店があったことは今考えれば幸福だったと思います。
ジャスコ二瀬店
昭和生まれの飯塚市民にとって「ジャスコ」といえば、もちろんジャスコ飯塚店!
なんだけれども、そのジャスコが、なんと二瀬にもあった。
それが「ジャスコ二瀬店」
といっても規模は全然小さく、スーパーマーケットに近い印象。
ほとんど買い物はしたことはないが、ここにもアーケードゲーム機が置いてあって、穴場でした(利用者が少ない)。
なので、たまに利用していた。そんな思い出があります。
おそらく1994年、ジャスコ穂波店(現イオン穂波ショッピングセンター)オープンの頃に閉店したように記憶している。
(もう少し前だったかもしれない)
新二瀬~高尾周辺

最後に、その他のスポットも取り上げていきます。
歌野商店
歌野(うたの)といえば、アーケードゲーム機がずらりと並ぶ個人商店。
ゲームタイトルはやや古めだけれど、30円で1クレジットという破格の価格設定。
50円で1クレジットもしくは100円で2クレジットが安いという相場の中で、圧倒的な安さを誇っていた。
100円玉ひとつで、ゲームが3回遊べて、うまい棒が買えるのである。すごい、すごすぎる。これが歌野というテーマパーク。
僕の好きなゲーム機(タイトル)はここには置いてなく、友人に付き合ってこの店を訪れることのほうが多かったけれど、友達がゲームで遊んでいる姿を見るのも好きだった。
また、30円という安さから友人が僕のプレイ分もお金を出してくれて、協力プレイをすることもあった(逆パターンもあり)。
今思い出して、子供ながらにそういうコミュニケーションも取っていたんだーなんて感慨深いものがある。
昔は良かった、と懐古厨になりたいわけではないが、子供たちのコミュニティとしてこういう場は確実に意義があったと思っている(もちろんデメリットもあるだろうが)。
あくまでも僕の私見ですが、歌野はその好例だったと思うわけです。
遠座商店(おんざみせ)
こちらも個人商店、「おんざ」。
利用頻度は低かったけれど、待ち合わせ場所としてよく使っていた。小学5〜6年の頃。
位置的に都合がよかったのだと思うが、今思えばあんな視界の悪い交差点前で、よくまあ…と冷や汗。
携帯電話なんて持ってなかったあの頃の「明日朝10時に遠座集合!」の軽さもまた、時代の空気でしたね。
ビーフラーメン大吉
「大吉」という店名から、小学生の頃は「ここの店主はラッキーマンが好きなのかな?」とか勝手な妄想をしていた。
ラッキーマン懐かしいですね!
それはさておき、初めてここのラーメンを食べたのは高校生のとき。
1999年12月11日、土曜日。
この日は高校のマラソン大会。
遠賀川の河川敷を10km走り、帰りに友人とここでラーメンを食べたのである。味はもう覚えていない(←おいっ!)
※ ちなみに、マラソン大会の成績は(同学年男子200人強が走った中で)185位だった、遅いにもほどがある(苦笑)
そして、その日は『グランツーリスモ2』の発売日でもあった。だから正確な日付がわかるわけである。
わざわざ、「グランツーリスモ2 発売日」でGoogle検索し、且つ、高2のときの「いざ起て健児」でマラソン大会の日にちも確認済みである(笑)
※ 「いざ起て健児」、略して“いざ健”は、日誌みたいなもの。嘉穂高卒の方ならきっとわかるはず。
あの日、この大吉でラーメンを食べ、セブンイレブン飯塚伊川店(この店で予約していたため)までチャリを飛ばした。
マラソン大会で疲れた体で約2kmの道のりは過酷であったが、グランツーリスモ2を早くプレイしたい気持ちが勝っていた。これが若さか。
そこまでして購入したグランツーリスモ2であったが、結局、疲れのためにその日はプレイすることなく、早々に眠ってしまった。
ちなみにグランツーリスモ2は翌日から死ぬほど遊んだ。
てか、全くと言っていいほど、大吉ラーメンの話をしていないですね、ごめんなさい(笑)
おわりに
今回の記事は、当時の店名・位置関係をマップに可視化した「思い出地図」をもとに、当時の空気を可能な限り再現して書いてみました。
あくまでも僕の記憶をベースに書いたものですので、もしかすると事実と異なる部分があったり、これをお読みのあなたの記憶とは異なる点があったりするかもしれませんが、そこは寛大な目で見ていただけると幸いです。
100円玉を2~3枚ポケットに突っ込んで、チャリで走り回っていたあの頃。
二瀬地区だけでも十分に広い世界だと感じていたし、地域から色んな体験をさせてもらっていたのだなと、この記事を書きながらそのような思いに至ることができました。
感謝しかないです。
この記事を読まれた方も、この記事が、あなたにとっての当時の思い出が蘇るきっかけになれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。